|
R380の国際記録挑戦
栄光のR380は2度にわたってスピード国際記録に挑戦しています。最初のチャレンジは、昭和40年(1965)の10月。この年に開催される予定だった第3回日本GPが翌年に延期されたことで、これに照準を合わせてプリンスR380を開発していたプリンス自工は、そのポテンシャルを試す意味で国際スピード記録に挑戦することになりました。
10月6日、場所は茨城県谷田部。プリンス自工走行実験課の杉田幸朗がコクピットに収まり、50〜200km間の4種目で次々と国際記録を更新しましたが、この時点でコースがFIA未公認だったため、計6つの記録は日本記録にとどまりました。
2回目は42年10月8日、今度は日産レーシングチームの横山逹がドライバーを務めました。この前年には日産・プリンスの合併があり、車名もニッサンR380IIと変わっていました。第3回日本GPで宿敵ポルシェを破っているR380は、大きな期待のうちに、今度はFIA公認の下、所定の7種目(50km、50mile、100km、100mile、200km、200mile、1時間)で世界新記録を樹立しました。
プリンスR380 国際スピード記録会成績:1965年10月6日、( )のみ14
区間距離・時間 |
所要時間 |
平均速度(km/h) |
従来記録(km/h) |
50km |
12'51"44 |
233.33 |
230.51 |
( 50km |
12'35"82 |
238.15 |
230.51 ) |
50マイル |
20'35"85 |
234.40 |
237.21 |
100km |
25'33"97 |
234.69 |
239.35 |
100マイル |
41'06"67 |
234.88 |
229.36 |
200km |
51'04"68 |
234.93 |
229.18 |
1時間 |
− |
235.06 |
229.23 |
ニッサンR380 国際スピード記録会成績:1967年10月8日
区間距離・時間 |
所要時間 |
平均速度(km/h) |
従来記録(km/h) |
50km |
11'42"88 |
256.09 |
230.51 |
50マイル |
18'54"38 |
255.37 |
237.21 |
100km |
23'33"60 |
254.67 |
239.35 |
100マイル |
38'15"09 |
252.44 |
229.36 |
200km |
47'37"20 |
251.99 |
229.18 |
200マイル |
1:16'52"35 |
251.22 |
228.54 |
1時間 |
− |
250.98 |
229.23 |
|
|
谷田部の高速周回路を走るニッサンR380-II。ドライバーは日産レーシングチームのキャプテン横山達選手
R380のGR8型エンジン(ウェーバーキャブ仕様)
|