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ニスモのル・マン24時間レース挑戦

日産のル・マン初挑戦は1986年。この時のマシンはニッサンR86Vと85Vでした。その後、1990年まで5年間続けられましたが、車両規則が変更されたことなどから中断しました。
1995年、国内の熱心な日産ファンの支援を受け、ニスモが日産ワークスに代わってル・マンに挑戦することとなりました。マシンはスカイラインGT-R(R33)ベースのGTカー、ハンディのあるこのマシンで、95年総合10位・クラス5位、96年総合15位・クラス10位の成績を残しました。しかし、ル・マンでは市販車ベースのマシンで優勝することは困難なため、再び日産が本格的なGTカーを開発して挑むことになりました。こうして誕生したのがR390 GT1。初出場の1997年は、総合12位・クラス5位でしたが、1998年は総合3・5・6・10位とワークスチームの4台がすべて総合10位以内に入り高い評価を受けました。
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クラブ・ルマンの会員も正式スタッフとして選ばれて参加しました(1995年) |