Nissan Heritage Car Collection
    SHORT STORY


オースチンとの技術提携

戦後、制限されていた乗用車の生産が全面的に解除されたのは昭和24年10月でした。わずか4年の中断でしたが、日本の自動車産業にとっては痛手でした。当時は「自動車はアメリカから輸入すればよい」という乱暴な意見もありましたが、政府は将来のことを考えて自動車産業の育成に力を入れ、外国メーカーとの技術提携を奨励しました。
そうした動きの中、昭和27年に日産自動車と英国オースチン社との技術提携が成立、翌28年4月からA40サマーセットサルーンのノックダウン生産が開始されました。オースチン社を提携相手に選んだ理由は、当時アメリカ市場で輸入車ナンバーワンだったからでした。
提携の内容は、(1)A40を年間2,000台輸入して組み立てる、(2)使用する部品は順次国産化する、(3)組立および国産化のためオースチン社はあらゆる技術供与を行う、というものでした。
昭和29年12月、本国のモデルチェンジに合わせて車種がA50に移行ましたが、国産化は順調に進み、予定より早く昭和31年8月に100%を達成しました。この提携で習得した生産技術は、後のセドリック誕生(昭和35年)にも大きく貢献しました。




昭和28年4月、鶴見工場でオースチンA40の第1号車がオフラインしました。日産自動車には、この時のオフライン1号車と、昭和34年12月製造の最終オフライン車が保存されています
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