Nissan Heritage Car Collection
    SHORT STORY


鮎川義介と戸畑鋳物

日産グループの創始者・鮎川義介(あいかわ・よしすけ:1880-1967)は山口県の生まれ。明治43年(1910)、福岡・戸畑に戸畑鋳物(株)を設立して、日本の自動車工業発展の受け皿作りに貢献しました。昭和3年(1928)頃から自動車部品製造を手がけ、ダット自動車製造や、日本に工場があったフォード、GMに鋳造部品を供給していました。
昭和時代に入ると、政府主導で国産3社(ダット自動車製造、石川島自動車製作所、東京瓦斯電気工業)の合同構想が動き出しますが、鮎川はあくまで民間ベースによる国産車の量産をめざし、ダット自動車製造の株式取得を進める一方で、同8年に米国よりプレス・鍛造設備、その他の工作機械類を輸入することにも成功しました。
鮎川はただちに戸畑鋳物自動車部を創設して製造権を取得していたダットサンの生産を開始。
さらに、昭和8年12月には、自らが社長を務める日本産業(株)と戸畑鋳物(株)の共同出資で「自動車製造(株)」(翌年、日産自動車と改称)を横浜に設立、近代的設備による量産の準備を整えました。




日産自動車の母体となった戸畑鋳物の全景(昭和12年)
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